「話さない」のではなくて、「話せない」のです。自分でも何故話せないのか分からないんだから、他人に理解してもらうのは難しいだろうなぁ…。
こんにちは、めめたです。
学生時代は辛かったけれど、なるべく休まないように頑張って学校へ行っていました。そんな中、一番苦手な学校行事と言えば…、私の場合「遠足」でした。
行きはいいけど、お昼のお弁当の時間はどうしよう!
誰か一緒に食べようって誘ってくれるかな?
自分では声を掛けられないし…
帰りは!?道に迷ったらどうしよう…
誰か前の人を見失わないように、しっかりついて行かないと…(;_;)
不安しかなかったです。
今回は、学生時代の辛かったエピソードを語りたいと思います。
出席をとる時、先生に自分の返事がちゃんと届いているのか不安
声を出すことに慣れていないためか、基本的に声が小さいです。何かしゃべった時にも、何回か聞き返されることが多いです。
教室はシーンとしていることは少なく、少しざわざわしていることが普通です。
そして自分の席から…そう、離れた場所から雑音にかき消されないように、返事をする。
もし大学の講義で使うような広い教室だったら、さらに大きなはっきりとした声が求められる。
だから、毎回毎回、自分の声がちゃんと届いているのか不安でした。
大学だったら、一人ひとりの顔と名前を先生が覚えているわけではないし、聞こえてなくて欠席にされている可能性もある。
普通に聞こえる声で返事をした時も、聞き慣れない声だったからなのか、聞き取りにくい声だったからなのか不明ですが、「居るなら返事をしなさい!」というようなことも言われたことがあります…。
でも近くの席にいたクラスの子は「結構、大きな声だったよね」という事を言ってたので、相手に聞こえる声というのは、声のボリュームだけではないのかもしれないですね。
話しかけてくれる人がいても、会話ができないので友達が作れない
本当に申し訳ないし、辛いですよ。
新しい学年や中学、高校、大学、職場。
私と仲良くなりたいと思って、話しかけてきてくれる人はいました。
私だって、みんなと仲良く楽しくできるならば、そうしたい。友達もいたら、きっと日々もっと楽しいのだろうな~と思いますよ。
しかし、頷いたり、聞かれたことに一言二言答えるだけ。
そんなやり取りしかできなくて、そんな人間と一緒に居ても楽しいわけありませんよね。(私は一緒に居てくれるだけで嬉しいし、有り難いのだけど…)
ずっとこんな感じで、いつからか「どうせ本当の私を知ったら、離れていくんだろうな。」という思いが根付いてしまって、他人と距離を置くようになってしまいました(T_T)
学生時代はまだ、‟いつも一人でいる”と周りに思われるのが気になっていて…休み時間とかは辛かったです。小・中学校では、ぼーっとしたり、無駄にトイレに行ったりしてやり過ごしていました。
高校では自分の席で本を読んでいました。
大学で暇な時は、図書館で時間を潰しました。
その点、社会人は楽ですね。
自分でやりたい事もやりたくない事も決められるから、自由です。
分からないことがあっても、誰にも聞けない
学校では、全ての生徒のペースに合わせてやってくれるわけではありません。
私は(今でも)聞き取りが結構苦手で、相手が何を言っているのか、聞き取って理解するのに時間が掛かることがあります(聴覚情報処理障害かも…)。
それでなくても、(声を出すのに抵抗があるため)受け答えに時間が掛かるのに、理解にも時間を要していれば、もう会話など成立しないのは当然…かもしれません(;´∀`)
「人に声を掛ける」っていうのは、ハードルが高かったです。というか、出来た記憶はないので、分からないまま、常に何かしら不安を抱いて過ごしていました。
声を発すること、笑うことのできない毎日。
それだけでも、どれだけ神経を張り詰めて生きていたか。
話しかけなければならない時、名前を呼べないので…肩とか腕をトントンして気づいてもらって、要件を言ったり。
あとは、周りを察して勘で動くしかないですよね。
まとめ
学校という集団生活。
規則はあるけれど責任を問われない守られた空間。
しかし、場面緘黙症のように、周りの人たちと同じようにできない人間にとっては、とても孤独で不安な場所でした。
自分で選べない環境で、いろんな先生、いろんな生徒のいる中、理不尽なことだったり、傷つくこともたくさんあると思います。
私は、よく学校でも胃が痛くなったり、嘔吐したりしていました。
どうしても嫌だった遠足なんかは、仮病で休んだりもしました。
毎日を生き抜くだけで精一杯だった…と言っても、大袈裟でもないと思います。
孤独、不安、心配…。
親には、自分が学校では全く話せないとか言えませんでしたから、今でも私は「大人しい」「内弁慶」で通っています。
最近になってやっと、「場面緘黙症」というワードをたまに聞くようになってきましたね。
そんなビョーキなどがあるとは知らなかった私の学生時代にも、この人私と同じかも…と思い当たる人が2~3人はいたので、世間で知られてるより、場面緘黙症の人って多いのかもしれないです。
以上、私にできる事をこれからもマイペースでやっていこうと思います!
ありがとうございました。